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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)11376号 判決 1956年10月11日

原告 上野信用金庫

被告 吉田ヨキ

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「訴外高橋昇二が昭和二十七年五月十五日被告に対してした東京都台東区上野北大門町十三番地、十四番地にある木造木羽葺二階建店舗一棟建坪及び二階坪共に七坪三合一勺の贈与契約を取り消す。被告は同家屋について被告のために東京法務局台東出張所昭和二十七年七月一日受付第一〇七五五号を以てしてある譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分禁止仮処分の登記及び同出張所同年八月十九日受付第一三七四二号を以てしてある所有権移転の仮登記の各抹消登記手続をすべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、原告は高橋昇二に対し何れも利息は日歩三銭とし(一)昭和二十六年十月一日金二十万円を弁済期同年十一月一日、(二)昭和二十七年四月一日金七十万円を弁済期同年同月三十日、(三)同年同月十日金二十万円を弁済期同年五月十日、(四)同年四月二十二日金五十万円を弁済期同年五月二十二日、(五)同年五月二日金四十万円を弁済期同年同月三十一日の約定でそれぞれ貸し付けこれが貸借上の債権を有していた。しかして、高橋には本件家屋の外には何らの財産もないのでこれを処分するのは当然にその債権者を害することになるのであるが、同人は昭和二十七年五月十五日その情を知りながら当時その妻であつた被告に本件家屋を贈与し、また、被告はその情を知つてこれを受諾し自己のために前記の各登記を受けた。よつて民法第四百二十四条第一項に則り本訴に及んだ次第である。と述べ、なお、前記貸金についてはその後入金があり、現在高橋の債務として残つているのは(二)の七十万円、(五)の四十万円の内の二十万円の各元本債務とこれに対する利息損害金債務だけである。と補述した。<立証省略>

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告が高橋昇二に対してその主張のような貸金債権を有することは知らない。そして、高橋が本件家屋以外に財産を有しないこと及び高橋と被告が原告を害することを知つて本件贈与契約をしたものであることは否認するが、原告主張のその他の事実は認める。と述べた。<立証省略>

理由

高橋昇二が昭和二十七年五月十五日本件家屋を被告に贈与し、被告がこれを受諾し本件家屋について原告主張のような各登記を受けたことは当事者間に争がないが、証人尋問における右高橋の供述によると、同人はこれよりも先原告からその主張のような五口合計二百万円の借入をして原告に対しこれが賃借上の債務を負担していたこと及び高橋には右贈与当時本件家屋と原告に対する約百十万円の預金があつただけで他に見るべき財産のなかつたことが明瞭であるから、高橋は事理の当然としてその債権者を害すること知つて本件贈与をしたものとする外はない。次に被告は本件贈与当時これが高橋の債権者を害するものであることは知らなかつたと主張し、その本人尋問の結果によると、被告は当時前認定の貸借の事実を遂一知つていたわけではないことが認められるけれども、このことだけからして被告を善意であつたとすることは無理であり、しかも、他に被告の善意を肯定するに足る証拠はない。

さて、証人高橋昇二の証言の一部と被告本件尋問の結果とを綜合すると、高橋と被告はその間に二人の子供までもうけた夫婦であつたが、高橋が他に情婦を作つたため夫婦仲が悪くなり、昭和二十七年五月中離婚の話が纒り、高橋は本件家屋に被告と二人の子供を残して家出をし、翌昭和二十八年八月中離婚の届出をしたこと及び本件贈与は右離婚について被告の婚姻中における協力に報いるとともに、その生活の一助とするためになされたものであつて、高橋は被告に対し本件家屋の外になお十万円を贈与したことが認められる。すなわち、本件贈与は実質的には高橋から被告に対し離婚に伴う財産の分与をするためになされたものと認められる(前示高橋の証言によると、同人は現に前認定の離婚無効確認の訴を提起していることが認められるが、人事訴訟でその無効が確定されるまでは通常訴訟では一応有効としてこれを判断するのが相当である)が、民法第四百二十四条第一項はかような法律行為についても無条件にその適用があるものであろうか。思うに、離婚に伴う財産の分与をする契約が財産権を目的とする法律行為の一種であることは疑のないところであるけれども、わが改正民法第七百六十八条第一項は離婚に際しては持てる当事者から持たざる当事者に対し財産を分与すべきものとしている(但し、分与額が零の場合もあり得る)から、財産分与は離婚が当事者の財産に及ぼす余後的効果であり、その分与契約はこの余後的効果を確定するに過ぎないものというベきである。すなわち、離婚の場合には、当事者はその債権者を害すると否とに拘らず原則としてその余後的効果を確定するために財産分与に関する契約をすべきものであるから、その契約による財産分与者の債権者は民法第四百二十四条第一項によりその契約をこれが債権者を害することを知つてなされたものであるという理由だけで取り消すことは許されず、その取消のためには、その契約が民法第七百六十八条第三項の趣旨に反し不当であることを立証することを要するものといわなければならない。いま本件について見るに、本件家屋の贈与者である高橋にその贈与当時本件家屋と約百十万円の予金の外に見るべき財産のなかつたこと及び高橋が被告との離婚について本件家屋の外に十万円を贈与したことは既に認定したところであるが、右高橋の証言によると、同人は本件家屋の贈与当時前認定の原告に対する二百万円の貸金債務を負担する外なお他に八十余万円の債務を有していたことが認められるから、かような情況の下で財産分与のために本件家屋を贈与するのは不当とさるべきではないかとの疑問が提出されるかも知れない。しかしながら、財産分与の意図するところは、夫婦が互に協力して取得した財産を夫婦関係の解消に当り適当に分割するとともに、これにより可及的に当事者の経済的不安を除き離婚を当事者の対等且つ自由のものとするにあるのであるから、財産分与に関する契約の当否はこの趣旨に従つて判断することを要する。さて被告が高橋との間に二人の子供までもうけたものであることは先に認定したとおりであり、また、被告本人尋問の結果によると、被告は高橋と離婚後は本件家屋で洋裁業を営むことによつてわずかに自己と子供二人の生活を維持しているものであることが認められるが、高橋が離婚に当り被告に対しかようにその生活の基礎をなす本件家屋(場所的価値は不明であるが、家屋自体としてはその構造、大さからみて三十万円前後のものと思われる)を十万円と一緒に財産分与の趣旨で被告に贈与したのは、これを前説示の判断の基準に照らし決して不当とは考えられないから、原告は遂に本件贈与契約を取り消すに由ないものといわなければならない。

よつて、右取消の可能であることを前提とする原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中盈)

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